ちょっと前までコマーシャルとは、世の中の流れをつかむ重量な情報源でしたが、今は残念ながらそういうポジションではなくなってきたようです。

スポンサーには逆らえない



資本主義社会では、ある意味当然なことですが、スポンサーに逆らうのは難しいです。

例えば、今頻繁に流れているコマーシャルにソーシャルゲームがあります。
代表的なところでMobageやGREEといったあたり。
これらのサービスは、度々、社会的な問題を指摘されています。
最近ではガチャとよばれるギャンブル性の高いくじや、未成年者に対する高額課金であったり。
それらの問題点を指摘する声は以前からありましたが、それをテレビなどのマスコミが取り上げることはほぼありませんでした。
理由は簡単で、彼らはテレビ局にとっては、大量の広告料を払っていくれるスポンサーであり、彼らの機嫌を損ねることは一番のタブーであるわけです。

同じ事は、少し前までの電力会社のコマーシャルにも言えることです。
特に原発関連では、度々小さな事故を起こしてきましたが、それを本格的に追求するマスコミが現れなかったのは、大口のコマーシャル主であったから。

社会的な問題を抱えている企業や団体が、それを表沙汰にしたくない場合に、まっさきに行われるのがコマーシャル大量投下によるテレビ局の抱え込みと読み取れます。

テレビショッピングの氾濫



銀チャは、数年前までは、主に首都圏で仕事をしていました。
仕事が忙しいこともあって、ほとんどテレビを見ることはなかったので、男鹿に帰ってきてから、家族が見るテレビを横で見て驚いたことが一つありました。

テレビショッピングが氾濫していたことです。

テレビショッピングと言えば、お昼や深夜の人気のない時間帯であるとか、なかなか普及の進まないBS局で流れるもの、という認識だったのですが、今では夕方のニュースの途中にも入ってきます。
これが繰り返し、繰り返し流される状況は、一般の消費者にとって苦痛なレベルになってきています。
効くか、利かぬか分からない食品や錠剤(ほとんど効くことはないと思いますが…)を、さもよさそうな口ぶりで紹介する芸能人や一般人。
「効能には個人差が…」という字幕を入れておけば、規制に引っかかることがないとばかりの言いたい放題に、NGワードは巧みに回避する台本。

このわざとらしさには辟易しています。
我が家では、コマーシャルがない、というそれだけの理由でNHKを試聴するケースが多いです。
民放を見る場合は、なるべく録画して、コマーシャルを早送りしています。

ここからは読み取れるのは、夕方のニュースのような枠ですら、十分な視聴料がとれず、テレビショッピングを流さなくてはならない、民放テレビ局の苦戦ぶりです。

というわけで



・大量のコマーシャルが流す企業には社会的な問題をはらんでいるケースが多い。

・視聴率がとれて、作りのよいコマーシャルを流せる番組は、非常に限られている。

この状況はコマーシャルを収入源としている民放のビジネスモデルがかなり限界に来ていることを物語っていると思います。
ニーズの細分化によってWOWOWやスター・チャンネル、スカパーなどの有料チャンネルも加入者を伸ばしてきていますし、インターネットを利用した配信も増加して来ました。
テレビという媒体のスタイルが、今変わろうとしている時期なのかもしれないですね。

とりあえず銀チャはスカパーのGAORAを愛聴しております。
そのへんのお話はまたいつか。
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