ここのところ、行政への依存体質についてチリポリ書いてますが、特に現在の地方における行政への依存体質は異常です。
地域の代表者による行政への陳情は毎日のように実行されているようです。
うちの集落の道路を直してほしい、側溝が詰まっている、公園の草が刈られていない、防災無線が聞こえない、etc、etc、、、

さすがに道路の補修は機材がないと難しいですが、人手がいれば自分たちでできるようなコトまで行政に要望を出している地域や、個人のクレームは存在するようです。
こうした依存体質は、結果としてどうのような状況を生み出すのか。

頼り頼られ共倒れ



最終的には行政も、地域も、共倒れして終わる危険性が極めて高いでしょう。

地域側には、予算もなければ、人材も不足しており、この部分の不足を行政に要望するというのが実情と思います。
ですが、行政側には特定の地域に対して援助を行う理由も、余力もないのが実のところ。
男鹿市の例で言えば、独自の税収で賄っているのは、支出の1/3程度で、他は国や県からの交付金で賄っているとのことです。
これは、どこの地方自治体も似たようなもので、上からのお金はたいてい使い道が指定されており、独自に行える事業はごく僅かというところも同様です。

この少ないお金を、順繰りに地域にまわしていては、効果の上がらない無駄な事業を増やす結果になりかねず(とはいえ、ある程度はやらざるをえないようですが…)、人口減少が進み、さらに税収が減った時には、この用途への支出は大幅に制限されるはずです。

地域側にしても、自分たちでは出来ないと早々に決めつけて行政からの支援待ちをしていては、ただでさえ高齢化が進んでいるところに、いよいよ深刻な状況に陥ります。
一年毎に、地域の平均年令は自動的に1歳あがりますし、産業がなければ、若手の人口流出は加速するのです。

ちなみに、この状況は北浦や戸賀、五里合といった農村、漁村だけにとどまらず、船川や脇本のように、昔からの町であった地域でも同様です。地域の人と話をしていても「ここはもう老人の町だ」という話が漏れ無く聞こえてきます。

地域独自の限界ラインが、今の適正ライン



まずは行政に頼る体質を改めるところから始めないといけません。
頼っていても、どうせいつになるのか分かりませんし、いずれ上記の理由から、行政はほとんど独自事業を行えない状態になることは明らかなのです。
自分たちで手を付けられる事業は何なのか、最低限、地域の中で何が必要かを把握するぐらいは行わないといけません。
そうした議論の中で、地域の中で必要なモノの基準も変わってくるはずです。
税収豊富だった高度経済成長期と同じ基準であることは、そもそも異常なことです。

地域の代表者の中には、自分があげた要望がとおるコトで自分が地域に対しての責任を果たしたことになると考えている方もいらっしゃるでしょうが、もうそういう時代ではないです。
地域の中で可能なコトを増やしていくコトが、これからの地域の全体スキルとして必要なコトになってきました。

地域独自で可能な限界ラインが、これからの地域を運営していくにあたる適正ラインと言えます。
無理に背伸びをする時代は、もうかなり前に終わっています。

自分たちが作りたい未来が見えなければ意味が無い



こうしたコトを進めていくにあたって、自分たちの地域をどのような未来にしたいか、という意志決定をするのは、超重要な案件です。
今の時代、全体的に、全方位的に、なんとなく発展していくというのは、もう不可能なのは誰でもわかります。
自分たちの地域が、何を核にして生き残っていくのか、何を諦める必要があるのか、それが分からなければ、全体が共倒れして終わりです。

問題なのは、地域の方々の中には、もう地域の将来に対して諦めてしまっている人たちが少なくないこと。
個人の考えですので、諦める事自体は仕方ありませんが、それを地域の意思決定の中に反映されてしまうと、将来にわたって、その地域に住み続けたいと考える人に迷惑がかかるので、これはやめていただきたいです。

具体的には、その人の子どもや、孫に、迷惑がかかります。

何度か書いているように、これからの地方は、地域間競争に勝ち残った地域だけが存続可能な時代です。
昔のような…というセリフを言って懐かしがっている時間はない…ということです。
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