個人的戸賀推進キャンペーン実施中。
昨日は所用ついでに戸賀まで。

2015-10-07 16.32.07

先日開催したサイクルカフェで、こうした風景を毎日見続けたおかげで、この場所がとても気に入っている。

日が暮れた後、暗くなるまでの僅かの時間が好きだ。
あの空気感は、あの場所、あの時、あの瞬間でなければ味わえない。

一日だけ、サイクルカフェの後に自分のロードバイクで走った30分。
その30分が、自分が今年走ったどんなライドタイムよりも濃密な時間になってる。
その体験があるうちは、また戸賀に行きたくなるんだと思う。

綺麗なだけでは意味は無い


写真は風景を切り取る。
その力で、何でもない、何処にでもあるような、ありふれた風景を特別に見せたりする。
ありのままに描き出すことは原理上、不可能。

もう、風景だけを写真で切り取って人を呼ぶ…っていう時代じゃなにのは明白。
ドローンで空撮…なんてのも、初めのインパクトはあるかもしれないけど、実際現地に行っても見れない画像でPRすることに何たる意味もない。

その場所の価値に、益するものでもなければ、失するものでもない。

メディアやネットのおかげで、今や感動の風景なんていうのは大安売り。
どこに行っても、同じような感動の風景が広がる。
風景を切り売りするようなコトはもうやめたほうがいい。

そんなコトをしてる場合じゃない。

つまりは人だ


綺麗な風景に意味がないと言いたいわけではない。

風景に意味を見いだすのは人。
感情を込めるのも人。

そこに人がいなければ、どんな風景を前にしたって、感動も、哀愁も、何の感情も浮かばない。
そこに誰がいるのか、何をしたのか、それがなければ、その場所には意味は生まれない。

人は人が好きなのだ。

それを失念すると、ここには何もないという台詞が出てくる。

先ほどの写真は、自分がロードバイクで走った時の記憶や感情を呼び覚ます。
その時、誰が一緒にいたとか、どんな話をしたとか、そーいったコトの方が、はるかに自分の心の中には残ってる。

綺麗な夕日なんて、世界中どこにでもあるし、気象学的にみれば、こんな風景は何度だって見ることができる。
大事なのは、そこではない。

そこに誰がいて、そこでどう過したか…それがあって初めて、目の前に広がる風景に意味が出てくる。
一枚の写真が、かけがえのない一枚になり得る。

綺麗な画像を見ていたいなら、4Kで撮影した画像をレタッチして、4Kモニタにでも表示してたほうが、ずっと綺麗だ。
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コメント

 コメント一覧 (3)

    • 1. t.kashi
    • 2015年10月10日 16:54
    •  男鹿は、景色良いですよね。山あり、海あり、滝あり、水源地あり、さまざまな魅力がちりばめられた土地だと思います。歳を重ねるごとに美しいところだなあと思います。でも、他にも美しいところはありますよね。、私は男鹿が美しいと思うのは、さまざまな思いが重なっているからかもしれませんね。
       さて、10月のサイクルイベントはどうなりましたか?家の庭の椿、少し色づいてきました。来週中に2,3輪咲くかもしれません。お暇なときにでも視察にいらしてください。
    • 2. ginncha
    • 2015年10月10日 18:33
    • t.kashiさん、コメントありがとうございます。
      おっしゃる通り、男鹿半島も素晴らしいですけど、それと同等、それ以上の景色がある場所は、全国、世界にはいくらでもあると思います。
      この土地で何を経験して、何を思うかの積み重ねが、その人にとって、その土地をかけがえのない土地にしていくんだと思います。

      椿の件、連絡できずに申し訳ないです。
      今週末のイベントは、早いうちから天気予報が悪く変則開催になりそうでしたので、お庭拝見は見送らせていただきました。
      来秋末にも、サイクルイベントで北浦に行きますので、その前に連絡いたします!
    • 3. t.kashi
    • 2015年10月11日 11:02
    • お待ちしております!主人も喜んでいますよ!!
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