文化…っていうのを考えるときに、プロフェッショナルの果たす役割というのも確かに大きいわけだけど、それ以上に、直接の生計には関わらないアマチュアの動きというのも凄く大事なんじゃないかと思ってる。
というか、それなしには成立しえない。
プロフェッショナルと違って、アマチュア活動を続けるには、自分で出資することが必要。
楽器(オーケストラなど)やスポーツ(自転車!)、文化教室(お花、陶芸などなど)というあたり。
基本、誰かが対価を払ってくれるわけでもないのでこれは致し方ない。
逆に、教室の先生や指導者、企画の主催者であれば対価をいただける立場(僅かでしょうが…)なわけで、そうゆう立ち位置にいる人がいるかどうかは、その地域における文化活動に大きく影響する。
ただ、例えばオーケストラのような大掛かりな規模の活動になると、個人出資では維持が難しくなるのは確か。
楽器は高いですし、練習に必要なスタジオ、演奏会を開くためのホールなどなどお金のかかり方は大きい。
金額の多寡はともかく、スポンサードしてくれる人が必要になるケースもある。
こーゆー文化活動に、行政がお金を出すのは、その地域が文化的に豊かであることの証明なんだから、是非出すべき!っていう意見を言う方もいるでしょうが、それは論が逆です。
お金を出すから豊かなんじゃなくて、その地域の文化が豊かだから行政支出に賛同が得られる。
文化は勝手に育ってくるわけじゃなくて、誰かが育てないと豊かにはならない。
つまるところ、文化活動に行政がお金を出すべきか否かは、それは地域の中で議論して決めないといけない話なんだろうけど、けっこうそのへんの議論が深まってるという話はあまり聞かない。
割とおざなり。
例えばの話し「市民オーケストラ」が市民に愛されていれば、税金を使った活動にも理解は得られるだろうけど、そーゆー地域が果たしてあるのか。
このへんの話題は本当はすごく大事だと思ってる。
文化が、地域や市民に根付いていくことはすごく意味のあることだけれど、それは上から頭ごなしに押し付ける話じゃなくて、一人一人の繋がりの中で醸成されていくべきコトで、日本の文化活動は、今一つそのへんの意識が弱い。
市民みんながその活動に参加するわけじゃないのは当然として、直接参加しない市民にも、その活動が認知され、一定の賛同を得る事は、文化が育っていくのは絶対必要。
やってる人だけで楽しんでるのは、一過性の娯楽であって文化ではない。
ブームが去ったり、やってる人が仕事で忙しくなったりということがあれば、やがて先細りになって消えてしまう。
文化として根付き続いていくことは別の話。
文化を一過性の娯楽から、地域や市民に根付いた文化活動にしていくには、それを深める場が絶対に必要だと思ってる。
自分たちがやっている活動について、お互いの意見を交換し、情報を交換し、話を深めていくような場がないと文化として深まらない。
手前味噌ではあるが、先日仲間と一緒に開催したサイクルカフェはそうした場にしていける要素が含まれていたように思う。
雨にも関わらず10名ほどの方に集まっていただき、自転車の楽しみの話が大多数ではあるものの、そんな中でもマナーや事故、ルールの啓蒙や、自転車乗りの心構え的な話題もちょくちょくでてくる。
そうした幅のある話題の中で、少しづつ話が積み重なっていくことが、文化として成熟し、根付いていく為には必要なんだと思ってる。
決して今ある形が最適解ではないけど、今よりもっともっと良い形、楽しめる形を模索する場が作っていければと思う。
そして、もう一つ必要なのが広げる場。
自分たちのしていることを、地域や市民に知ってもらう…接点を持ってもらう場というのが絶対に必要。
自転車の話ですると、転車乗りと自転車には乗らない人の関係性を作り上げていく…お互いに共通の認識を作っていく…というあたりがキーポイントかと思う。
これはけっこう難しい。
自転車に興味のない人にとっても、自転車乗りのことを一定程度理解してもらう必要があるわけだから、それはもちろん難しい。
が、手段が無いわけでもない。
例えば、先日男鹿半島でも開催されたグレートアースにおいて、参加者を声援する地元の声が回を重ねるごとに増えてきてるように感じてる。
今後も少しづつ認知は広まるだろうし、単純に声援を送る…だけじゃない楽しみ方も生まれてくる可能性もある。
ただ、これだけでは、まだ足りないかな…と思うところではある。
何一回のイベントだけでは限界はある。
いろいろ考えて動いているけど、答えが見えるでもなく。
まず、これも地道に答えを探して続けていくしかない。
やり方はともかく、文化として根付かせるためには、それを求める「人」がいるかどうか。
動き始める「人」がいるかどうか。
集まってきてくれる「人」がいるかどうか。
深めていく「人」、広めていく「人」がいるかどうか。
少なくとも、自分のまわりで少人数ではあるものの、いろんな「人」が集まってきてる実感がある。
あとはそれにどれだけの情熱が注がれるか…そのへんが大事なトコなんだろうと。
というか、それなしには成立しえない。
文化とお金
プロフェッショナルと違って、アマチュア活動を続けるには、自分で出資することが必要。
楽器(オーケストラなど)やスポーツ(自転車!)、文化教室(お花、陶芸などなど)というあたり。
基本、誰かが対価を払ってくれるわけでもないのでこれは致し方ない。
逆に、教室の先生や指導者、企画の主催者であれば対価をいただける立場(僅かでしょうが…)なわけで、そうゆう立ち位置にいる人がいるかどうかは、その地域における文化活動に大きく影響する。
ただ、例えばオーケストラのような大掛かりな規模の活動になると、個人出資では維持が難しくなるのは確か。
楽器は高いですし、練習に必要なスタジオ、演奏会を開くためのホールなどなどお金のかかり方は大きい。
金額の多寡はともかく、スポンサードしてくれる人が必要になるケースもある。
行政出資の妥当性
こーゆー文化活動に、行政がお金を出すのは、その地域が文化的に豊かであることの証明なんだから、是非出すべき!っていう意見を言う方もいるでしょうが、それは論が逆です。
お金を出すから豊かなんじゃなくて、その地域の文化が豊かだから行政支出に賛同が得られる。
文化は勝手に育ってくるわけじゃなくて、誰かが育てないと豊かにはならない。
つまるところ、文化活動に行政がお金を出すべきか否かは、それは地域の中で議論して決めないといけない話なんだろうけど、けっこうそのへんの議論が深まってるという話はあまり聞かない。
割とおざなり。
例えばの話し「市民オーケストラ」が市民に愛されていれば、税金を使った活動にも理解は得られるだろうけど、そーゆー地域が果たしてあるのか。
このへんの話題は本当はすごく大事だと思ってる。
文化と娯楽は違う
文化が、地域や市民に根付いていくことはすごく意味のあることだけれど、それは上から頭ごなしに押し付ける話じゃなくて、一人一人の繋がりの中で醸成されていくべきコトで、日本の文化活動は、今一つそのへんの意識が弱い。
市民みんながその活動に参加するわけじゃないのは当然として、直接参加しない市民にも、その活動が認知され、一定の賛同を得る事は、文化が育っていくのは絶対必要。
やってる人だけで楽しんでるのは、一過性の娯楽であって文化ではない。
ブームが去ったり、やってる人が仕事で忙しくなったりということがあれば、やがて先細りになって消えてしまう。
文化として根付き続いていくことは別の話。
深める場
文化を一過性の娯楽から、地域や市民に根付いた文化活動にしていくには、それを深める場が絶対に必要だと思ってる。
自分たちがやっている活動について、お互いの意見を交換し、情報を交換し、話を深めていくような場がないと文化として深まらない。
手前味噌ではあるが、先日仲間と一緒に開催したサイクルカフェはそうした場にしていける要素が含まれていたように思う。
雨にも関わらず10名ほどの方に集まっていただき、自転車の楽しみの話が大多数ではあるものの、そんな中でもマナーや事故、ルールの啓蒙や、自転車乗りの心構え的な話題もちょくちょくでてくる。
そうした幅のある話題の中で、少しづつ話が積み重なっていくことが、文化として成熟し、根付いていく為には必要なんだと思ってる。
決して今ある形が最適解ではないけど、今よりもっともっと良い形、楽しめる形を模索する場が作っていければと思う。
広める場
そして、もう一つ必要なのが広げる場。
自分たちのしていることを、地域や市民に知ってもらう…接点を持ってもらう場というのが絶対に必要。
自転車の話ですると、転車乗りと自転車には乗らない人の関係性を作り上げていく…お互いに共通の認識を作っていく…というあたりがキーポイントかと思う。
これはけっこう難しい。
自転車に興味のない人にとっても、自転車乗りのことを一定程度理解してもらう必要があるわけだから、それはもちろん難しい。
が、手段が無いわけでもない。
例えば、先日男鹿半島でも開催されたグレートアースにおいて、参加者を声援する地元の声が回を重ねるごとに増えてきてるように感じてる。
今後も少しづつ認知は広まるだろうし、単純に声援を送る…だけじゃない楽しみ方も生まれてくる可能性もある。
ただ、これだけでは、まだ足りないかな…と思うところではある。
何一回のイベントだけでは限界はある。
いろいろ考えて動いているけど、答えが見えるでもなく。
まず、これも地道に答えを探して続けていくしかない。
いずれにしろ人が大事
やり方はともかく、文化として根付かせるためには、それを求める「人」がいるかどうか。
動き始める「人」がいるかどうか。
集まってきてくれる「人」がいるかどうか。
深めていく「人」、広めていく「人」がいるかどうか。
少なくとも、自分のまわりで少人数ではあるものの、いろんな「人」が集まってきてる実感がある。
あとはそれにどれだけの情熱が注がれるか…そのへんが大事なトコなんだろうと。
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