ネットを見てると、安保法制に反対して行動してる若者を、正論で諭そうとする言動を多数見かねる。
彼らを諭すことで、大人であること示すような言動には自分は同意しかねる。

若者が青臭い理想を掲げて、大きく騒ぎ立てるのは今に始まったコトじゃない。

それが出てこない社会、それを押しつぶそうとする社会こそ行き詰まった社会にほかならない。

未来をつくるコト、新しいコトを躊躇なく始めようと行動しはじめた若者には感謝するべき。

若者の情熱こそ、未来を形作る


そもそも、どんな正論で諭そうと、若者が持つ情熱がすぐに冷めるコトはないし、それを押さえつけるコトは、逆に曲がった方向に情熱が向く可能性もある。

それは大人のするコトじゃない。

自分が本当に大人であると思っているなら、若者の行動を真っ直ぐ背中から押してやるコトぐらいはしていい。
じっくり行動を見守るコトぐらいすればいい。

その結果がどうなると、一緒に責任を取ってやるぐらいの度量がなくて何が大人か。

それを、言動の揚げ足をとって幼稚だ、低レベルだと揶揄するのはみっともない。
それは、大人としての器量の狭さをさらけ出しているに過ぎない。
口先だけ大人ぶってどうする。

理屈で、情熱をねじ伏せても意味は無い。

若者の情熱や思いを汲み取って、「お前が思う未来が実現できるように、もっと本気で行動して、結果を出してみろ」ぐらい言ったらどうかと思う。

それが本当の大人の役目じゃないのか?

大人も若者も、社会の一構成員…仲間だ


どんなコトを言ってみたって、若者は今の大人の背中を見て育ってる。

彼らの行動が、自分たち大人と無関係と考えるのは傲慢だ。

世代は常に連続していて、大人と若者の間に境目などないし、同じ社会を構成し次の社会を形作っていく仲間という意識を忘れちゃいけない。

カオスへの許容が未来を作る


もちろんデモに参加した人間にも、ただ馬鹿騒ぎをして遊んでるだけの人間が多数いるのはわかるし、そんなコトは当然だ。

だが、新しい文化が生まれてくるときっていうのは、だいたいがそんなモノ。
訳の分からないカオスの中からしか、新しい息吹は生まれない。
次の世代の社会を憂うなら、その息吹を見逃さないコトが大事だ。

カオスが許容できない人間は、ガチガチのローフルの中で縛られて身動きが取れなくなるだけだ。
そーゆー大人が、社会の大多数を占めてるのは残念ながら事実だが。

未来に向けて…変わっていい


デモに対して、大人な態度で冷静に見つめるコトも必要だとは思うが、この状況から生まれてくる新しい芽が潰れないように、それを見守り寄り添うことも大人の大事な役目なはず。

そうしなければ、今の硬直化した日本は永遠に次のステップには進めない。
安保法制の是非はともかく、いま、日本の社会は変わらないといけないコトだけは間違いないから。
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