5年目の3.11から明けて1日。

忘れない、忘れちゃいけない、という言葉をあちこちで見かけました。

それに込められた意味は、もちろん理解しますが、やはり人間は忘れる生き物です。

記憶に関しては、人それぞれ、関わり方によっても異なります。

被災した本人と、そこに関わった人、遠方に住んでいて関わりの無かった人では、とうぜん記憶として留めておける質も量も期間も異なります。

たとえば、自分にとっては「5年前の東日本大震災」よりは「33年前の日本海中部地震」の方が記憶としてはリアルです。

33年前の自分は、一人の被災した子供でしたから。

忘れてもいい…そのかわり


「ずっと覚えている」というのは言葉にすると僅かですが、それを実践することは想像するよりも難儀なことです。

それを多くの人に求めるのも酷です。

直接の関わりを持たなかった多くの人にとっては特に。

忘れてもいい…そのかわり、忘れてしまっても大丈夫な仕組みを作りこむことの方が大事なはず。

いずれ、この日本列島は絶えず災害が起きる土地です。

日本の場合は「被災者」は特別に運が悪かった人ではなく持ち回りです。

その度に、その場しのぎの施策に止まったり、インフラ整備の話だけで復興を論じたりするだけでは、救われない人がたくさん出てしまいます。

もうそろそろ、そうした仕組みが作りこまれていい時期…そうしたスタイルへの転換を目指す時期にきてるのは間違いない。

2011.3.11の犠牲者のご冥福をお祈りします。
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