「ぶれない」という単語は、何かと賞賛の対象になるようですが、自分は苦手です。

自分の軸になるような事柄において、その考え方や意見を変えずに、信念を貫くというようなイメージなんでしょうが、自分としては、そのコト自体に、さほど意義を感じていません。

人間が生きていくというコトは、常に変化していくのが基本です。
変化をやめてしまった人は、そこから先の人生は、それまでの人生の惰性で過ごすことになります。

何も吸収しないし、勉強するコトもない。
創意工夫もなければ、人との出会いからの学びもない。

「ぶれない」という単語は、そうした外からの情報に対して、徹底的に抵抗して、自らの考えや意見を変えないコト。
今までの行動を貫き通し、容易に変化をしないコト。

これは、良い悪いという意味じゃなくて、単純につまらない。
しょせん、今の自分なんてちっぽけなモンですので、そんなちっぽけなモンを必死になって守ったって、たいした意味はない。

良いと思ったコトは積極的に取り入れればいいし、今までの自分の行動が間違ってたと思ったなら改めればいいし、「ぶれない」なんていう単語を振りかざして、過去の自分を固持し続けるのは、未来の自分に対しての背任行為に等しい。

「ぶれない」人間よりも、「面白い」人間になりたい。

まぁ、実際は「ぶれない」という単語が意味するのは、人の言動や行動なんていう表面的なコトに関しての言葉ではなく、もっと人間の意識の奥深くに起因するコトを示すんでしょうが、そもそも、そんな部分に関しては本人すらも、きちんと把握できません。

他人の言動や行動を見て、あの人は「ぶれない」とか「ぶれてる」とか言うのはちょっと違う。
自分自身が変化を恐れているのを隠したくて、「ぶれない」という単語を使って自己武装してる人は案外多そう。
「俺はぶれない人」なんて言う単語を口に出しちゃうのは、かなり重症です。

人生、ぶれぶれだったいいんです。
その時、その場所、その人たちの間で、一番良い選択肢を選べばいいんです。
その時に、悩んで、考えて、そうして出した結論が一番大事。

その方が「面白い」じゃないですか。
大変かもしれないですが。
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