このあいだ、ある筋から入手した(というか頼まれた)手作りバッグをフリマっぽく売りたくて、マーケットイベントに参加してきました。
とは言え、モノ売りはど素人の上、何を準備したらいいのかぜんぜん分からないコトもあって売上げなし。
ただ、少なくともこのぐらいは準備しないとな~っていうのが見えましたので、収穫はありました。

みんなに来て欲しいイベント


さて、今日の本題は、こうしたマーケットやライブ、体験会などを組み合わせた、不特定多数の方々をターゲットにしたイベントについて。
「楽しい場所をご用意いたしましたので、みなさん是非いらしてください!」という感じのイベント。

過去に自分もこうしたスタイルのイベントの企画やお手伝いをしたこともありますが、どうにもこのスタイルには消化不良な部分があって、現在はこのスタイルの企画には関わってません。
それは、このスタイルが良い悪いというお話ではなくて、自分の中で解決できてない事案があるから。

もちろん、補助金頼みの一発イベントだのは論外ですし、屋外で開催される場合の悪天候リスクとか、単純に費用対効果に納得できないとか、いろいろありますが、もう少し根本的な「問い」が自分の中にはあります。

「まつり」との違い


多くの場合は、こうしたスタイルで開催した企画は赤字です。
よほど気をつけて黒字経営を意識したスタイルで運営しない限り、単独の出店で黒字が出たとしても、企画会議などでの人件費、会場設営、各種経費、告知費用、等々。
人件費を全部ボランティアにしても、通常は協賛金や、参加者の持ち出しがなければ成立しないのが普通。
ただ、それ自体は参加者や協賛企業が納得して集まっているんだから問題じゃないです。

そもそも、そうした仕組みで開かれるイベントは、今に始まったものではないです。

「まつり」です。

「まつり」は、それ自体の単独収益を目的に開催されるわけではなくて、もっと純粋な人々の想いや願いを映し出す場として執り行われます。
大抵の場合は、かかる費用は住民達の持ち出しですし、カネが出せなければ、労力として協力する…つまりはボランティアとして参加するとか、仕組みでみれば最近の地方活性化イベントとそう違いはないです。

この2つの違いって、何なんでしょうか?

あまりに遠くなってしまった「まつり」


そうした違いを考えるときに、かつての「まつり」が、どのようなモノだったのかを知りたいと思うのですが、残念ながらいま残っている大きな「まつり」のほとんどは観光化されてしまい、そこに込められていた純粋な想いを知るのは難しい状況です。
観光化した「まつり」は、それ自体での収益を目的とした観光事業ですので、執り行われる内容が昔と同じであったとしても、そこに込められた想いは全く異なります。

観光化されていない風習にしても、その発祥からは遠く離れてしまったと感じています。
ヒトの生き死にがもっと身近だった時代に生まれた風習…男鹿半島でいえば「ナマハゲ」のようなものも、自分が子供の頃とはだいぶスタイルが変わったように感じますし、ちょっと昔の資料を調べてみると、それこそ今とはだいぶスタイルが異なります。

今ほど自然災害への備えもなく、ちょっとした気象変動で極端な食糧不足になったりと、ヒトの生き死には今と比べものにならないぐらい身近な時代に生まれたのが「まつり」や「風習」だとすると、現在社会はそこからは遠く離れた場所にいます。

実際は「まつり」や「風習」が変わってしまったり、遠くにいってしまったのでなく、そこから離れてしまったのは今の自分たちの方だったりしますが、今更、その距離を縮める術もないですし、かつての資料を読み解く以上のコトはなかなか出来ないのが現状です。

込められた想いの違い


かつての「まつり」に込められた想いは、純粋で、それこそ重いモノだったと考えています。

「まつりがあるから一年を生きていける」
「ヒトが死んだり、辛いことがあっても、まつりがあるから耐えられる」

先人の口から放たれた言葉や、資料の中から読み取れる想いは、今を生きてる自分にはとても受け止めきれるものではないです。
なぜ、これほどの想いが込められた「まつり」から遠く離れてしまったのかは今の自分にはよく分からないです。

その一方で、「地域活性化イベント」に対しての想いはそれほど重くはないです。
主催側はともかく、来場者にとってみれば「これがあるから一年生きていける」という存在ではないですし、気軽に遊びに来ている感覚がフツーだと思います。


開催するにあたっての持ち出しの仕組みはさほど変わらないのに、そこに込められる想いがこれほど違うのは何故だろうか。
これだけの持ち出しをしてもらって、このイベントは本当に必要なモノなんだろうか。
こうした気持ちが、自分の中では答えの出ない「問い」として残っています。

まとめ


まとめと言っても、答えがでてないのでまとめも何もないんですが。

地方活性化と言いつつ、持ち出しが気にならないほどの可処分所得があるから開催されるのか。
切実な売上げを求めて集った人の場を提供することを、主催者が厭わないだけなのか。
今後継続していく中で、もっと想いが洗練されたスタイルに変わっていく過程なのか。
地方の衰退と共に、もっと純粋な想いが集う場へと変わっていくのか。

実際、自分の知る限りでは、かつてこうしたスタイルでイベントを開催していた人達が、継続的に開催している例はほとんどありません。
もっと小さな規模で。
もっと同じコトを思ってる仲間と共に。
そうしたスタイルに軸足を移しているようです。

その意味では、似たような「問い」に対して、誰もが「答え」を模索しているのかもしれません。

「地域活性化イベント」が、行政の補助なく開催されてる例は、もう僅かしかありませんが、「問い」に「答え」られるような結果を生み出していくのかは、今後の動き次第。
さて、どうなるのでしょうか?

以上。
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