組織はリーダー次第っていうのは間違いのない正論です。
が、この論を支持するには、ちょっと違和感あります。

優秀なリーダーは多くない


例えば、衰退する地方自治体だって、知事やら、市町村長の意向で、大きく認知度をあげて、地域の産業を盛り上げてる事例は多々あります。

ただし、そうしたリーダーがいる地域っていうのはごく僅かというのも紛れもない事実でして。
だからといって、うちの首長は、いつまでも古くさいコトばっかりやってるし、何やってもダメダメだし、もうあきらめるしか無いのかな…っていう結論にするわけにはいかないわけです。

リーダーがダメダメだって、首長がどうしようもなくったって、それであきらめちゃうっていうのは、自分に対して無責任です。
自分自身でもっともっと足掻いていくのが当然だと思ってます。

市レベルでダメだって、どうってことない


仮に市長がダメだったとしても、それは市を単位とした動きに期待いできないだけであって、自分が属する単位は他にも山のようにあります。
会社やら、団体やら、町内会やら、子供会やら、友達やら、家族やら、恋人やら、仲間やら、やら、やら、やら。
それぞれの単位での動きには、市長の能力は何の影響もないです。

どーも、リーダー論を支持される方は、首長を非難する傾向が強いような気がしています。
非難すること自体には何の問題もないですが、それでいて本人が何もしてないようだと、ちょっとそれどうなんだい…っていう違和感を覚えるわけです。

大きな組織ほど、高度なスキルが必要


実際のところ、組織が大きくなれば、大きくなるほど、それをまとめるためのスキルは高度なものが要求されます。
その意味では、市長や知事レベルの人が、有能な手腕を発揮する確率は低くなっていくのが当たり前で、そこに過大な期待をかけること自体が無理があると思っています。
選挙は民意を反映させる有効な仕組みではありますが、高度なスキルを持っている人を選出するための仕組みではないですので。

いつだって準備不足で、成果足らずであたりまえ


結局は、どんな状況に対応するにも、用意周到、準備万端で望めるっていうコトは普通はありません。
リーダーがもっと良い判断をしてくれれば…っていうコトをうじうじ言ってても、何の足しにもなりませんから、結局は手持ちのカードをやりくりして状況に対応するしかないわけです。
それで、望むレベルの結果に足らなくても、それは当たり前のコト。
次は少しでも高いレベルで結果が出せるように頑張るしかないですが、次も準備不足で、成果足らずが続くこと自体が永遠に続くはずです。

地域の衰退に対して出来ることというのは、実は個人レベルでもたくさんあります。
個人で出来るコトもあるなら、小さな団体に属しているのなら、さらにさらに一杯あります。
本当のところ、世の中に大きな変化を与えるためには、大きな単位での動きではなくて、小さなレベルでの変化から発展していくモノの方に可能性があるコトが多々あるはずです。

まとめ


身近な、某市長も、某知事も、衰退する地域において適切な手を打てているとは思えませんし、税金をふんだんに使った事業も、一時のカンフル剤にしかならず、継続的に地域を変えていくような事業が行われているとも思えません。

ただ、そんなコトを言ってても仕方ないです。

リーダーの力量がどうこうよりも、自分が何をしたいのか、自分が何をしているのかが重要なのは、もう今更言うことでもなく。

以上。
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