タイトルに反して、自分は科学技術こそが人類の未来を築くと信じて疑わない、テクノロジー信奉者の一人。

科学技術なしでは、人間ってここまで生きながらえてないし、この先も科学技術なしじゃやってけない。

じゃぁ、なんでこんなタイトルで記事を書いてるかというと、科学技術の素養が無いひとほど、程度の低いいいかげんな「科学的根拠」にころっとダマされてるのをよく見かけるから。

極端に症例の少ない研究結果や論文(そんなゴミみたいな研究は世の中に溢れかえってる)を読んで、それを鵜呑みにしてしまったり。

ありもしない化学反応を根拠にした効果の喧伝を信じてしまったり。

もう、そんないい加減な「科学的根拠」なんか鵜呑みにするぐらいなら、はじめから「科学」なんか信じないで、自分の直観で判断したらいいんじゃないかと思ったりする。

人は信じたいコトだけ信じる


これはよく言われてる事だけどホントです。

そーいえば、原発事故直後に、誰かから「滝の頭」の水(男鹿市の水源だ)は放射性物質に汚染されてないかと聞かれたことがあったね。
気流の流れから言っても、秋田県側はほとんど影響を受けなかった上に、「滝の頭」の水は寒風山に降った雨水が20年以上の歳月をかけて染み出してきたもので、まず心配には及ばない。

仮に放射性物質を含んだ雨が降ったとしても、それが染み出すまでに20年。
種類にもよるだろうけど、その間に、多くの放射性物質が崩壊して、健康被害のない状態に落ち着いてる。

そんな事を説明したものの、相手の不安は収まらなかったようで、たぶん、あの方はしばらくミネラルウォーターでも買って生活してたんじゃないかと思う。

結局、質問しておいて、その方は、放射性物質への不安を誰かに肯定して欲しかっただけなんだろうね…と。

「科学的根拠」に対して判断する力が自分に無いがために、不安を和らげる言葉(危険だから湧き水は飲んではいけない)というのを身近な誰かに言ってほしたかっただけだったんだと思う。

そういう答えを求めていたんだろう。

たとえ科学的に否定されていても、自分が信じたくないコトは信じない。

いい加減な「科学的根拠」は溢れてる


実際、世の中で、いい加減な「科学的根拠」を最も有効に活用してるのは、人の不安を煽って、特定の商品を売ってる方々。

「XXは危険だから食べてはいけない」とか。

その際に示される研究結果みたいなのは、たいてい極端に症例が少なかったりする。
もしくは条件分けが不十分で、危険だと称する食品が本当に原因かどうかを特定できるレベルになかったり。

そして最後は、無視できるレベルに小さなリスクを、確率はゼロでは無いなどと煽り立てたてる。

そして、その先に「魅力的な真実」を並べ立てる。
科学的に確かなことを言うんじゃなくて、信じたくなる事実を提示して、相手の同意を得る。

もう、これは「科学」じゃなくて、ただの「話術」です。

一度信じると戻れない


多少なりと素養のある人が科学的な判断をすれば、議論の余地もないぐらいデタラメな根拠も、一度それを信じた人にとっては人生をひっくり返すぐらいの衝撃を受けた事実であり、そーなるともうどうしようもない。

一度そういったデタラメな根拠を信じて、人生をひっくり返してしまった人は、もう戻るに戻れない。
自分が過去に信じたコトを、ウソだったことに出来ない。
これって新興宗教とか、ブラック企業とかと一緒で、一種の洗脳です。

基本、もうここまで行っっちゃった方は、もう戻れないんだと思う。
残念ながら。

結局、中途半端な「科学的根拠」なんかを判断の材料にするより、自分の直観を信じたほうが、ずーっとマシな結果になるんじゃないかと思ってる。

ほんとは、もっと多くの人が、もっと「科学」に親しんでくれたらいいと思うけど、それもまた難しいだろうし。
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