何かを決断するときに、感情的な判断をしてしまうことはある。
それ自体は、何ら恥ずべきコトではない。

理屈では間違ってると分かっていても、感情的に納得できずに、そうした判断をすることは、何も間違っていない。
結果に対しての責を引き受けるのであれば、何も問題は無い。

やってはいけない感情の裏付け


やってはいけないのは、自分の感情的な判断に、理屈をつけ裏付けをしてしまうこと。
自分の判断が、感情的なものであり理論には合わないことを認めずに「正しいこと」と、自ら誤認してしまうこと。

そうした判断は、往々において合理性を欠くし、他のヒトの賛同も得にくい。
無理に強行すれば、相手側との軋轢を生むことは想像に難くない。

相手にとっては、理屈に合わない只のわがままにしか聞こえないのだから、納得もできなければ、話し合いの余地すらもなく、こうした態度で他のヒトに望むことは、大変失礼な事だ。
絶対にやってはいけない。

整理された理論と感情は伝わる


理論と感情はきちんと整理してコトにあたるべき。

簡単に感情に流されずに、理論立てて行動することが大事なのは言うまでも無い。

とはいえ、誰しも人間。
いつでも、理論通りに行動できるわけではない。

時として、理論としては間違っているのは分かっていても、感情に従った判断をするコトだってある。
それは仕方が無いコトだし、避けがたいコトだ。

そんな場合でも、理論と感情がきちんと整理されていれば、相手にとってもそれは伝わるモノだ。

理論に合わないことを、相手や、周囲にお願いする時には「お願い」するしかない。
決して、相手に対して強硬な態度はとれないはず。

だから伝わるのだ。

こうしたお願いは、貸しになることもあるだろうし、逆に信頼が生まれることもある。
そうした意味でも理論と感情はきちんと整理して、人に相対しないといけない。

感情的であることは何も問題ではない。
自分で認識さえできていれば、ちゃんと相手には伝わるはずなのだから。
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